「<研究論文>臨床ソーシャルワーク研究 在学中に身体障害者となったA君の卒業までの援助を中心として」について

臨床ソーシャルワーク研究-在学中に身体障害者となったA君の卒業までの援助を中心として- 1992年2月
について気付いたこと。

大学生が在学中に脊髄損傷者となり復学から卒業までのケースがうかがい知れる興味深い記事だ。
しかし研究でもなく論文とは呼び難い事実や他の研究結果に基かない「私見」が散見されていて見過ごせないので指摘しておく。

2. 臨床像(身体障害について)
a. 両下肢の運動障害
で唐突に
「車椅子を使用することについての是非は、車椅子使用において生じる制限は当然として、車椅子を使用しないために生じる生活障害がはるかに大きい。しかし、軽視してはならないのは車椅子を使用し生活することによって、生活の大半が車椅子の坐位姿勢になるために、腰部以下に廃用性(2)の二次的障害が発生する可能性があることである。A君の場合も腰部以下の筋力の低下が著名で、すでに実用性を失っている状態である。これはマヒ側への積極的な治療訓練が行われていないからである。
中枢神経系を主な原因とするマヒの根本的な治療は、現在のリハビリテーション医学の技術(3)では不可能と考えられている。我が国のリハビリテーション医学も同様である。したがって、基本的な考え方では残存機能の補強、または、潜在能力の開発を中心とするリハビリテーションのプログラムが実施されているのが現状である。これらを根拠とするところは、神経細胞は再生不能(4)であることを根拠としているのである。また、中枢神経系マヒ(対マヒ)のケースの場合は、健常部位の体幹、両上肢で生活の大半が問題なく出来ると考えられているが、この考え方は再検討がなされる必要がある。マヒ側の部位にこそ治療、訓練のアプローチ(5)の開発が必要であることを痛切に感じる。」
というまとめがなされている。
根拠が示されておらず、論文に掲載すべきでない私見である。
脊髄損傷者に対するアクティブリハビリテーションに対してはリハビリテーションにおける回復期の期間や効果には個人差が大きいのでケースバイケースであるので肯定的だ。
しかしA君の下肢マヒの原因を「マヒ側への積極的な治療訓練が行われていないから」としてアクティブリハビリテーションを行わなかったことと断定づけることは間違いだ。
本人も関係者の誰しも中枢神経系マヒが治療、訓練によって機能することを願いながら過ごしていることを存じていないようだ。

2. 臨床像(身体障害について)
b. 感覚障害
「深部感覚が脱失しているために、筋痛、腱痛、関節痛が感知できないために捻挫、骨折の認知ができない。」
感覚知はできないが認知はできる。
捻挫、骨折は痛みとしての感覚は自覚しないが血圧・体温の変化や異常発汗やむくみなどの症状が出るので異常に気を付けていれば対処できる。
血行不良で注意が必要なのは褥瘡と深部静脈血栓症である。

2. 臨床像(身体障害について)
C. 膀胱直腸障害
「定時排尿を用手、カテーテルで行っても残尿は微量はあるものと考えていいだろう。残尿の問題は残尿の量が微量であるとしても、常時尿を膀胱に残した形での生活ということになり、膀胱自体の伸縮性の機能が喪失しかねない恐れがある。」
私は自己導尿ではないがこんな問題は初めて知った。後出しになるがカテーテルによる自己導尿は残尿を無くすための手段と思っている。
1992年当時でも図書館に行けば神経因性膀胱や間歇(かんけつ)自己導尿に関する書籍があったはずだ。
間歇(かんけつ)自己導尿が問題のように記述されると多くの脊髄損傷者が困ってしまう。
参考:清潔間欠自己導尿 (PDF:1574KB)国立障害者リハビリテーションセンター 2001年11月30日

3. 臨床像(心の回復について)
私は未だに「障害の受容」について納得できる記述をした日本人のケースワーカーに出会ったことが無い。
「A君は受傷後、治療に専念し機能回復の成果を挙げたのであるが、予後は後遺症として残った身体障害と対峙し、如何に障害の「受容」をしていくかということが課題となった。」
の後に
「A君の場合は機能回復がプラトーに到達したのは、障害「受容」して機能回復訓練に打ち込んだからであるといえる。」
記述が繋がらない。
学生時代に教えられた知識に置き換えただけだから矛盾した内容になってしまう。
まず「障害受容」ができない状態であれば、機能回復訓練は停滞し、退院が遅れる原因となる場合がある。」は正しくない。
日本で身体機能的リハビリテーションを機能回復訓練とひとくくりにしている誤解なのだろう。

身体機能的リハビリテーションには損傷部位の機能を回復する訓練と残存機能を向上する訓練の2種類の訓練がある。
前者の訓練は「元の身体の私に戻りたい気持ち」が大きな動機となって、後者の訓練は「新しい身体の私を少しでも便利にしたい気持ち」が大きな動機である。
障害の受容はそんなリハビリテーションへの動機づけとは別で「障害のある私自身に対するパラドックスの解消」なのだ。
つまり障害のある私の身体を私の心が好きになって新しく生きる希望を見出せることだ。

「一般的に中途障害者となった学生が大学へ戻るためには、大学側の受入の条件整備なしに復学を許可されたとしても、実際の就学は不可能である。復学を前提に条件整備した場合でも、受理した年度内に条件整備ができない場合がある。復学申請を受理してから復学が完了する期間が問題である。復学に長い期間を要すれば、待たされるという精神的負担が余分に負荷されることになる。障害をもった者にとって待たされるということは、障害を理由に受け入れられないのではないのかと、むやみに不安感を高めるだけである。
 わが国では障害者が社会に受けいれられてきた歴史が浅く、障害者にとって社会参加のできにくい社会である。本学においては障害者(視覚障害者)に対して一部門戸を開いているが、全ての障害に対して門戸を開いてはいないのが現状である。本学では身体障害(視覚障害)に対しては、条件整備が一部できているが、身体障害(肢体不自由)に対しては条件整備が不十分である。今の現状からすると復学希望者と大学間の諸問題の調整役が介入する必要性がある。大学側として障害学生を復学させる際に、具体的な見通しをもった判断が難しい。実際の生活環境を考慮して、復学が可能であるか否かということに関しての判断は極めて困難である。このような条件の下で調整の役割を担うケースワーカーが必要になる。今回のケースでは両者の間に立って、意見調整の役割を学生相談室が果たした。」
まとめの以上の文章は
「中途障害者となった学生が大学へ戻るために、両者の間に立って、意見調整の役割を学生相談室が果たした。」
の1行でよい。それ以外の語句は今回のケースの説明の意味をなしていない。

4. 学生相談室の機能と役割
a. カウンセリングとソーシャルワーク
カウンセリングとソーシャルワークの違いが良く解った。学生相談室の機能と役割がカウンセリング+ソーシャルワークとなったことはすばらしいことだ。
ちなみに何処かの社会福祉協議会の相談専門員はケースワーカーでなければならないのに(もしかすると自覚的に)カウンセラーでしかないと思える。

5. 相談経過
a. 相談1期(復学に至るまで)
b. 相談2期(A君の復学)
具体的で興味深い。
バリアフリー法以前であるので貴重なケースだ。
まったくの専門外の者が脳性マヒ者に対する訓練らしい「治療訓練(ペトー法?・ペテー法?ウェブで見つかりません)」に関わるのには大いに疑問だ。


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