難病、五輪断念、自殺願望…『バリバラ』レギュラー「大橋グレース愛喜恵」の壮絶人生と決意

難病、五輪断念、自殺願望…『バリバラ』レギュラー「大橋グレース愛喜恵」の壮絶人生と決意 (産経新聞) – Yahoo!ニュース 
難病、五輪断念、自殺願望…『バリバラ』レギュラー「大橋グレース愛喜恵」の壮絶人生と決意
産経新聞 7月7日(日)23時20分配信

 脳や脊髄などの中枢神経にさまざまな異常が起きる「多発性硬化症」など3つの難病を抱えながら、「障害者たちが目指すモデルのような存在になりたい」と障害者の自立を目指した啓発活動などを展開し、NHK教育テレビの障害者向け情報番組「バリバラ」にレギュラー出演している大橋グレース愛喜恵さん(24)。柔道で北京五輪の米国代表に内定しながら、発病により出場できなかったという辛い経験の持ち主でもある。そんな体験を取材しようと彼女に接してみると、普通の明るい24歳の乙女だった。(山崎成葉)

■突然の出来事

 大橋さんは福島市生まれ。父親が日本人、母親が米国人のハーフで、3姉妹の真ん中という家庭環境に育った。小中学校時代はバスケットボールに熱中。柔道は小さいころに始めたのではなく中学3年生の授業で初めて体験。このときに教員にセンスを買われ、本格的に競技生活に入る。卒業後は強豪校の栃木・茂木高校に通うため、親元を離れた。

 身長170センチ。クラスは52キロ級。高校で腕を磨き、めきめきと頭角を現した。米国籍も持っており、当初から希望していた米国ナショナルチームに入り、2008年(平成20年)北京五輪の代表にもほぼ決まっていた。

 しかし、高校卒業直前だった五輪前年の19年3月2日。「強烈すぎて忘れられない」という出来事が起きる。朝起きると、突然目が見えなくなっていたのだ。「怖くてたまらなかった。寝る前まで見えていたものが、突然何も見えなくなっていて、助けを呼ぼうにも携帯電話が使えないし、部屋から出るにも部屋の出口もわからない。もうパニクるしかなかった。強烈に覚えています」と振り返る。

■パラ五輪代表にも

 診断の結果、視神経炎による視覚障害だった。当初はそれ以外の症状はなく、練習を続けることにしたが、初めて道場が怖いと感じたという。「光が見えなかったから、今まで見なれていた道場の風景が、全然違う所に連れてこられたようでした」

 その後、北京パラリンピックの代表にも内定し、五輪とパラリンピックの両方に出場することを夢見た。「両方に出るのは史上初めてということで、強い気持ちでそれを目指していました」と振り返る。

 拠点にしていた米国の道場では、パラリンピック出場選手が練習していたこともあり、チームメートにも助けられた。「私だけが全盲選手じゃない。周りの力もあって、最初は衝撃が大きかったけど、やり始めたらそうでもなくて…。逆に視覚障害をいじられたりしました。悪いイメージはなくて、楽しくできたかなと思います」と笑う。

 それでも、内心は穏やかではなかった。「柔道ができなくなったらどうしようと不安で仕方なかった。柔道をとった私に何が残るんだろうっていう恐怖は常にありました」と語る。

 その不安は現実のものとなる。徐々に他の症状が出始めたのだ。

 「最初は腕が上がらなくなって、腕のしびれがひどくなって…。自分ではまっすぐ歩いてるつもりでも、ふらふらと歩いていました。食べ物を飲み込むときにむせたりする症状も出てきました」

 19年12月、日本に戻り検査を受けた。結果、多発性硬化症、関節が痛むなどする「シェーグレン症候群」など3つの難病を抱えていることがわかった。入院生活に突入。五輪どころか、競技そのものも、あきらめなければならなくなった。いつもは明るい表情の大橋さんも、このときだけは違った。

 「生きる目的も、積み重ねてきたものもすべて一瞬にして消えました。一生懸命練習してきたものが一体何だったんだろう、何のために生きてるんだろうっていう気持ちになりました」と話し、さらに続けた。

 「自殺も考えました。でも、症状が1番最悪のときだったので、どこも動かなくて自殺することもできなかった。もう頭の中は真っ白でした」

■立ち直り

 大橋さんが再び輝きを取り戻すチャンスが訪れた。米国から両親の友人が見舞いに来たときのこと。「将来の夢はないの」と柔道をあきらめて以降初めて聞かれた。「養護学校などで、障害がある子供たちに、こういう大人にもなれるっていうのを見せられる仕事に就きたい」と胸の内を明かした。「なれるよ」と励まされた。

 大橋さんは通信制教育で精神保健福祉士を目指し勉強を始めた。「考えることができたのが、何よりも生きる力になった。自分でできることがちょっとずつ増えてきて…。できないことばかりじゃないってことに気づかされました」

 21年夏に退院。在宅生活を送る中で、福祉について疑問を持つようになっていった。「当事者(障害者)が『ここおかしんじゃない』って言っても、『あなたは当事者だけど社会福祉士じゃないからわからない』と言われたりして…。使っているのは私たちなのに、使っていない人だけで決めていくのはおかしいと思いました」と話す。

 障害者への教育についても「例え障害があっても、普通学級に通いたいっていう当事者がいた場合、受け入れられるような環境ができていたらいいなと思う。そうすれば、健常者にとっても、大人になったときにもっと障害者に自然に向き合えると思う」。

■自立し奮闘

 大橋さんは大阪での活動が増えたため、23年6月、親元を離れ、大阪市内で1人暮らしをしている。「親はいずれは老いていく。重度の障害であっても、いろんな方法を使えば1人暮らしができる。普通に1人で暮らしたいなって思いました」と語る。呼吸器をはなすことができず、介助者が24時間付き添っている生活ながら、明るく元気に暮らしている。

 障害者自立のための講演活動なども本格化し、テレビにも出演するように。現在は「バリバラ」にレギュラー出演し、障害者たちが明るく暮らせるようにとの願いを込め、トークなどに奮闘している。

 「夢は変わった。自分も社会の一員として生きていける、と意識も変わった。ここ1年は忙しいが、最近は恋をしたいなって思います。結婚もすごくしたい。子供は産めないけど、育てたいなという思いは強くあります」と語る。

 病状は現在安定しているが、進行性の病気なので、いつ急変するかわからないという。それでも「悔いはないと思えるような人生を送ったことが、記録として残ればいいなと思います。医療的ケアを受けている人のモデルのような存在になれたらいいなと思います」ときっぱりと語った。

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