ヤマト王権(纒向遺跡)~平安京までの遷都の理由

ヤマト王権発祥の纒向(まきむく)遺跡から飛鳥時代、奈良時代を経て平安時代の平安京に至るまで近畿のあちらこちらに遷都しているが、遷都の一番大きな理由は住民の排泄物が溜まってどうしようもなくなった為と考える。

排泄物から伝染病が蔓延して手が付けられなかったら逃げるしかない。
平安京に遷都するまで鴨川の水路変更などの土木技術が進んでなかったので排泄物を流し切れる大きい川は洪水のリスクがあって近くに遷都できなかったのではないだろうか。
陰陽師(おんみょうじ)なんて風水にかこつけた国土交通省と厚生労働省の官僚の祖先で裏で権力を牛耳った体質が当時から変わってないんじゃなかろうか。
平安京に遷都して土木工事で鴨川、桂川の水害を防いで水路を巡らせて排泄物を流せるようになったから平安京に落ち着いたのだ。
案外、ハイヒールとぽっくりは同じ理由で高いのかも。

遷都の理由を紹介しているサイト
縄文と古代文明を探求しよう! | 遷都について
「2.慢性的な水不足に悩まされていた
近くに大きな河川ないため、平城京は慢性的な水不足に悩まされていたようです。そのため衛生状態も悪く、排水路を設けていたが水がないため使うことも出来ず、街路には住民達が廃棄した汚物で溢れかえっていたといわれています。」

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