大阪府堺市にある大仙古墳は宮内庁によって仁徳天皇陵として治定されている。
それが正しいかどうかという事よりもっと根本的に変な事に気づいた。
「そもそも前方後円墳は天皇の陵墓ではない」ということだ。
疑問や仮説を羅列する。
- 前方後円墳は3世紀後半より6世紀末まで全国各地で造られた。
大きい古墳は近畿にあるから統一国家の大王の陵墓であって近畿以外の前方後円墳は大王の権威にあやかったのだ、とすれば岡山県にベストテンに入る大きさの前方後円墳が2つも造営されていることが説明できない。前方後円墳は倭国のクニの連合の支配層としてのトレンドであったに過ぎない。そして古墳時代(ヤマト王権-河内王権)の大王の権威は突出してはいなかった。 - 8世紀に編纂された古事記・日本書紀に古墳の記載が乏しい。
仁徳天皇陵も大仙古墳が一番大きいから程度の理由でしかない。他の古墳も同様でこじつけの域を脱していない。遠く出雲の地ではなくヤマト・河内の事にも関わらず曖昧すぎる。
万世一系なら当時から先祖代々の古墳をもっと大事に扱ってきていてもよさそうだが明治の王政復古まで古墳の価値が低い。飛鳥時代から仏教を中心として国を治めたとしても祖先の墓くらいは大事に守って語り継がれたはずである。王権が変わったから祖先でもない者の古墳に価値が無かった。 - 海路の要所に大きな前方後円墳があるのは灯台。
神戸市の五色塚古墳・処女塚古墳、岬町の淡輪ニサンザイ古墳など灯台として、また航海の無事を祈念して造営された。
こんなとこか。6世紀頃に王権を継いだ者たちには古墳に価値が無かっただけとか?
いずれにしても発掘させろ!