2006.08.22~10.29 豊中平成病院

豊中平成病院に転院してからのエピソードです。 

2006.08.22 頭の上を飛行機が飛ぶと安心?する
2006.08.22 看護師からの入院時の説明で奈落の底へ
2006.08.23 真夜中のシンフォニー-眠れねぇー
2006.08.23 1日1時間が「リハビリし放題」
2006.08.23 みんなで仲良くデイルームでお食事

以下はほとんど未編集です
2006.08.23 叶わなかった夢-アイスノンで熟睡
2006.08.24 地獄の排便-尊厳の破壊
2006.09.05頃 膀胱ろうの交換-膀胱洗浄に流儀あり
2006.09.20頃 「医者の不養生」とは違うよう
2006.10.01~14 風呂に入れてくれぇ~-「人手が足りないので無理です」??
2006.10.15頃 生まれて初めての気絶
2006.10.29 別府にひとっ飛び

2006.08.22 頭の上を飛行機が飛ぶと安心?する

 今回の介護タクシーのドライバーも見事に目的地に着けない。
 予約した時に目的地も事前に伝えてあるのに目的地に着かない。地図を辿って見つけられずに明らかに行き過ぎて引き返し、Uターンしてまた辿る。あげくこっちの方角から来たことがないから分からなかったと言い出す。分からなかったら車を止めて電話して聞けと思いつつイライラしてると、ようやく止めて電話をかけ始めたのが交差点の角の歩道の上。アバウトなドライバーだ。
 着いてみると、目的地は受傷前によく通ってた道路のすぐ近くだった。時間は1時間半。介護タクシーに借りた車いすに座布団を引いて座って体幹ベルトを留めただけなのでお尻が前にずれて体幹ベルトは脇の下に引っ掛かって胸が抑えられて息苦しくなっていた。
 出迎えてくれた看護師さんが病院の車いすに移乗するのにいきなり両膝の間に足を入れて両脇に腕を入れてひっぱり上げられて移乗させられた。えっえっえっという間の出来事で緊張して痙性(けいせい)が入る間もなかった。一人介助の移乗は対面で両ひざを両ひざで挟む方法しか知らなかったので唖然。そんな方法があったのねと、ただただ感心するばかり。
 入院にあたり診察とレントゲンを写すという。診察室にぽつん。で、父と姉夫婦は入院の手続きと買い物に走り回る。
 内科の先生の診察を受けてからレントゲン撮影。「レントゲンの被曝なんて飛行機に乗るよりはるかに少ない量だから心配いらない」・・・よっぽど不機嫌な顔をしてたのだろうか。
 病室に移ってベッドに上がる。左手に窓がありすぐ頭の上を飛行機が着陸態勢で通過していく。隣の市とはいえ飛行場が近いと実家の近くに戻ってこれたと実感できて、ちょっと安心する。

2006.08.22 看護師からの入院時の説明で奈落の底へ

 「排便は三日ごとです」
 「今まで月・水・金でしてきたんですけど」
 「ここでは三日ごとです」
 「下剤は排便前日の昼食後にアローゼン1gとプルセニド(当時は「プルセミド」と間違えていた)を2錠飲んでました」
 「ここでは液体のラキソペロンです。排便が二日なければ15滴夕食後に飲んで下さい」
 不満たっぷりな顔をしてると、
 「大丈夫です。甘くて飲みやすいですよ」
 そんな問題ではない。
 「上下パジャマで下は指定のおむつがあります」
 寝たきりの認知症、意識障害を持つ高齢者がほとんどなので例外は認めないという強い意志が感じられる。
 苦情を言ってくる患者がいないと権利も尊厳もあったもんじゃない。前もって聞いていたら転院しなかったが後の祭り。星ヶ丘厚生年金病院のケースワーカーも当てにならない。
 やばい所へ来てしまった・・・。
 ナースコールは営繕担当の人がボタンスイッチを探してきてくれて事無きを得た。
 歯磨きの介助はなく昼食後に口腔ケア担当の人が歯間ブラシで食べかすを取ってくれる。
 昼食前11:30に車いすに乗り、15:00にベッドに上がることで乗車時間は確保。
 夜間は3時間ごとに体向。
 入浴は週1回。
 

2006.08.22 真夜中のシンフォニー-眠れねぇー

 夜は10時に消灯で、テレビを見ていたら11時の見回りの体交(体位交換)時にスイッチを切ってくれる。
 夜くらいゆっくり眠れるか、と思ったが甘かった。3人部屋で斜め向かいの男性は昼間は静かなのだが夜になるとベッド柵を叩き始める。向かいの病室の女性は「私は○○と申します。住所は○○市○○○丁目○○の○○です」と叫んで、続けて更に大声で「た・す・け・て・く・だ・さ・いー!」遠くでは「うぉー!うぉー!」と男性の唸り声が響いている。」
 眠れねぇー・・・。

2006.08.23 1日1時間が「リハビリし放題」

 まぁリハビリはいくらでもし放題と聞いてきたから、それでチャラかな。
 甘かった。
 月曜から土曜までだが平均4回。1日1時間でPTかOTのどちらかのみ。
 PTは星ヶ丘厚生年金病院の最低な担当に比べたら申し分なし。私の状態の呑み込みが早くスポーツ(陸上)をしていたということでストレッチもその準備運動の延長のように手慣れた感じ。ストレッチをベッド上で行い、次はベッドサイドに座って座位の練習。座位のまま腰を前後にずらす動作の練習と、座位から上体を前に倒して起こす体幹の筋力強化のリハビリを中心に行った。OTの都合でベッド上での訓練となり病室から出られなかったのが残念だった。
 OTは1FのOT室は窓もなく陰気だったが途中から4Fのリハビリ室に移って見晴らしが良くなったのがなによりだった。OTでも丁寧にストレッチをしてくれた。当時は左肩がやっと反応がある程度で右手は1時間半掛かる食事で限界だったので、限られた資源の中で試行錯誤していた。最終的にカタログのページめくりの練習に落ち着いたが正解だったと思う。
 それでもかつては頸髄損傷のリハビリで有名だったらしい星ヶ丘厚生年金病院のPTの中で最低な担当PTの訓練に比べたらはるかに効果があった。
 一番残念だったのが車いす。サイズが合ってないので座ってるか食事をする以外何もできない。自走の練習どころではなく姉に座布団を買ってもらわなければ座ってることもままならなかった。

2006.08.23 みんなで仲良くデイルームでお食事

 食事は朝夕はベッド上で全介助で食べさせてもらう。
 昼食は11:30に車いすに移乗してデイルームに押して行ってもらって食事用の自助具を付けてもらって先を曲げたスプーンを自助具に挿してもらってなんとか自分で食べられた。食事は品数が多く=器の数が多く、手の届く右にあるものから1つ1つ片づけていく。汁→おかず→ご飯の繰り返しではなく、その順に右から並べてもらって、その順に食べていく。これは星ヶ丘厚生年金病院の時から今でも同じ。
 メニューは高齢者が多いので薄味で肉より魚が多い。麻婆豆腐なんて間違っても出てこない。味はそこそこ美味しかった。少しずつで種類が多いので食事としては申し分ない。
 種類が多いという事は自ずと器の数が多くなる。これが私にとって最大の難所。一つ一つ器に盛られたおかずにご飯を口へ運ぶ。一つの器が空になると一息付いて休憩しないと続かない。
 12時丁度に「いただきます」で13時半頃に「ごちそうさまでした」となる。
 その間、私以外のメンバーは入れ替わる。初めのメンバーは自分で食べられる人、小介助の人、全介助の人が並ぶ。要するに車いすに乗って食事ができる人全員という事になる。中には元気の良い人がおり他人にちょっかいを出したり、黙々と食べてしまう人がいたりそれなりに楽し、いや賑やかな食事だ。
 その人たちの食事が終ると次は流動食のメンバーとなる。鼻からチューブを通している人、胃ろうから注入する人達で、意識レベルが低い人が多い。ずっと一点に視線が固定している人が多く、関の並びによって視線が合った時などずっと見つめられている状態になるのでどう対処すれば良いのか戸惑ってしまう。そのメンバーの食事が終る頃にようやく私の食事も終わる。

2006.10.01~14 風呂に入れてくれぇ~-「人手が足りないので無理です」??

 10/1に病院の隣に同じ法人でケアホーム豊中という施設が開設された。職員は皆「老健」(「介護老人保健施設」の略称だそうだ)と呼んでいた。病院からかなりの人数のヘルパー(看護助手)がそっちに異動になり病院のヘルパーの人手が足りなくなった。
 というのが2週間介護入浴の無い言い訳なのだ。意志表示できない患者が多いので介護浴をほったらかしてもクレームするのが私くらいしかいないからか問題にならない。患者の入浴に関して全く管理していない。意志表示できる人は介助無しに自分で入浴しているようだ。
 法人も気合が入っているのだろう、よく気が付く有能なヘルパーがごっそり居なくなった。
 これを書いている今、ホームページを見ると「地域の中核病院」と謳っている。日本の医療に不安が募る。2週間後に風呂に入れてくれたから良い方なの?

豊中平成病院


関連記事Similar Posts:

カテゴリー: 頸髄損傷者の憂鬱 パーマリンク