2006.01.30~08.22 星ヶ丘厚生年金病院-整形外科リハビリテーション病棟

星ヶ丘厚生年金病院に転院してからのエピソードです。 
2006.01.30~02.06 星ヶ丘厚生年金病院-整形外科病棟
2006.01.30 星ヶ丘厚生年金病院-整形外科病棟の初日
      主治医なの?
      ベッド上でリハビリ開始
      何処にでもいる親切の押し売り
      それぞれの道へ

以下はぼちぼちと書いていきます。
2006.02.06~08.22 星ヶ丘厚生年金病院-整形外科リハビリテーション病棟
2006.02.07 初車いす乗車・初リハビリテーション室・初落車
2006.02.25 大阪頸髄損傷者連絡会ミニフォーラム-頸髄損傷者連絡会との出会い
2006.03.01 理学療法(PT)の担当が替わった↓
2006.03.10頃 足踏みのイメージトレーニングを開始
2006.03.31 リハビリテーション病棟の主任・中堅の看護師5人が集団退職
2006.04.05or6or7 祝!膀胱ろう開通
2006.04.10頃 右膝が随意でピクリ
2006.04.20頃 左膝が随意でピクリ
2006.04.27頃 痙性(けいせい)で指がピクリ
2006.05.01 初電動車いすで散歩
2006.05.06 初自走車いす乗車
2006.05.10頃 左手の人差し指が随意でピクリ
2006.05.26or29 車いす自走の練習開始
2006.05.31 リハビリテーション病棟の中堅の看護師2人が集団退職
2006.06.05頃 パーソナル・スプリング・バランサー(PSB)で初食事
2006.06.13 兵庫県立総合リハビリテーションセンター(兵庫リハ)自立生活訓練センター面接
2006.06.20頃 PSBを使わずに昼食を食べ始める
2006.07.10頃 国立別府重度障害者センターに入所申請←兵庫リハに見切りを付ける
2006.07.10頃 左の三角筋に力が入ってるかも
2006.08.01頃 PSBを付けて夕食をベッド上で始める←これが取り返しのつかない間違いに
2006.08.21 豊中平成病院への転院が決まる→転院は明日(目が点)
2006.08.22 昼食後に星ヶ丘厚生年金病院を去る
2006.02.06 リハビリテーション病棟に移動

2006.01.30~02.06 星ヶ丘厚生年金病院-整形外科病棟の初日

 転院してから1週間は4階東病棟=整形外科病棟に入院となった。ここで、また色々と検査してリハビリテーションの計画を立てるらしい。転院してきた患者の他、手術前後の患者さんの病棟という事だ。
 朝に付いてエレベータで4階に上がり北向きの4人部屋の左奥の窓側のベッドに看護師さん4人で移乗。窓側の部屋で外が見えたのがすごく嬉しかった。担当の看護師さんと病棟の師長さんの挨拶を受けて、早速入院の用意である。阪大病院の救急救命センターの時は医師も看護師もグリーンかブルーの手術着に頭も髪が出ないキャップを被っていたので、普通の白衣が新鮮に思えた。マットの種類、体向マット、枕等の手配と調整を行う。
 身の回りの物を揃えないといけない。入院の為に準備する物の一覧があったと思うが、ちょっと定かでない。バスタオル、タオル、平オムツ、お茶を入れる水筒、水筒から自分でお茶を飲むためのチューブ、手が使えないのでチューブを支える為の針金。その他病室で使う諸々を買い揃える為に病院の売店やホームセンター店の場所を看護師さんに聞いたり道順をメモしてもらって父と姉夫婦で手分けして買い物に走り回ってもらった。
 自分の方はこれまでみたいに24時間人がいる救急病棟でないので緊急時はナースコールを呼ばないといけないし、お茶も自分で飲めるようにしないといけない。
 ナースコールは呼気で鳴らせるスイッチがあってそれをベッド柵からフレキシブルアームを伸ばして口元にセットしてもらう。呼気を感知するスイッチが2,3mmくらいの穴でちょっと息を吹きかけた程度では反応しない。口のすぼめ方、呼気の角度が少し難しく慣れるまでは何回もフゥフゥすることになる。
 お茶は水筒から伸ばしたチューブに看護師さんが針金を巻いて腰を付けてくれて、このチューブを口元に伸ばしておいて頭を動かして口先で咥えて自分で飲めるようにしてもらった。チューブをぐるぐるとらせん状に巻いていき、端まで巻いたら次は今まで巻いたのとクロスするように巻いていく。針金を巻く作業は一番若手の看護師さんがベッドサイドで黙々と巻いていたのを寝ながら見ていた。
 この時に巻いてもらったチューブは洗ったり除菌(台所用漂白剤)してもらいながら大事に国立別府重度障害者センターで去年の夏頃まで使っていたが、ある介護士さんに勝手に捨てられてしまい残念ながら今は残っていない。
 一通りの準備と買い物が終わったのは日もどっぷりと暮れてパチンコ屋の原色のネオンが輝く頃になっていた。

主治医なの?

 当日か翌日かは覚えてないが、阪大病院でもらってきたMRIの画像の入ったCDがよく見えない?という事で撮り直すという。その時か検査後の診察の時だったか覚えてないがそれ以外にこの病棟でかけられた主治医の言葉は「頭しか動かないならチンコントロールの車いすは操作できる・・・親御さんも大変やなぁ」という温かい励ましだけだった。絶滅危惧種でワシントン条約で輸入禁止になっているウミガメの甲羅から作ったようなフレームの眼鏡をかけていたのが印象に残っている。自分とは趣味が合わなさそうと思ったが、その通りの趣味の合わない励ましだ。主治医としてこの先の厳しいリハビリの道のりを示唆してくれた親切な先生なのだろう。

ベッド上でリハビリ開始

 整形外科病棟ではリハビリ室でのリハビリは行わないという事でベッド上でのリハビリが始まった。受傷して3週間余りしか経っていないが既に腕を頭の方に上げようとすると肩に激痛が走る。力を抜いて肘を伸ばす練習をするが、肘が伸びてカクンとするだけで肘の関節が空足を踏んだ時のように傷むような気になってしまってた。
 それでもストレッチとか身体を動かしてもらった後は体中に血液が回ったようで気持ち良いもんだ。本格的なリハビリに期待と不安が入り混じっていた。

何処にでもいる親切の押し売り

 親切な主治医と同様に親切な人が同じ病室の向かいにいて、その人曰く「オレの見立てでは、手も足も動かんな」。
 余計なお世話である。よほど暇なのか親切を売るノルマでもあるのかというくらい話しかけてくる。しかし内容はほとんど自分の自慢話か余計なお世話である。それでもって「何か用事があれば何時でも言ってくれ」と言うので待ってましたとばかりに用事をお願いした。
 「静かにしたいので、話しかけないで下さい」

それぞれの道へ

 転院してきた時にお世話になった看護師さんとリハビリテーション病棟に移って半年後くらいにOTから病室に戻るエレベータで会った時に挨拶すると春から別の病棟に替わったとのこと。担当の看護師さんは大学に入学したという。みんなそれぞれの道へ進んでいく。

星ヶ丘厚生年金病院

関連記事Similar Posts:

カテゴリー: 頸髄損傷者の憂鬱 パーマリンク