2009.11.29 障害抱え福祉向上に力 24年の生涯閉じる 篠山

僕らはみんな生きている。

神戸新聞より
丹波
障害抱え福祉向上に力 24年の生涯閉じる 篠山 
 重度の脳性まひを抱えながら生きた篠山市の女性が今月1日、24歳の生涯を閉じた。常に介護が必要だったが、笑顔を絶やさず、父の講演活動に付き添うなどして福祉向上に努めた。意識を失ってから112日。医師も驚く生命力で人生の最終章を生き抜いた。両親は「天国に行っても、心の中に生き続けているよ」と遺影に語りかけている。(上田勇紀)

 同市北新町の山中瑞穂さん。生後間もなく脳炎を発症し、身体、知的障害者となった。1992年に篠山養護学校小学部に入学。その4カ月前に父信彦さん(54)が航空会社を退社し、母泰子さん(54)と成長を見守った。

 信彦さんが気がかりだったのは、高等部卒業後の進路。「障害が重くても社会と通じる場所がほしい」。2003年、地域の人たちや賛同する保護者の協力を募り、医療ケアを受けられる作業所「紙ふうせん」を同市乾新町に開設。卒業した瑞穂さんは週に2回、通った。その後、障害者福祉を担う特定非営利活動法人(NPO法人)「いぬいふくし村」を立ち上げた。

 丹波地域の小中学校などで障害者福祉について講演するとき、信彦さんは、瑞穂さんを車いすに乗せて伴った。「語ることはできなくても、姿を見てもらうだけでいい」。講演後は瑞穂さんと児童らを握手させ、温かみを感じてもらう。笑顔を絶やさなかった瑞穂さんに、子どもたちから、「一生懸命生きる姿に勇気が出た」と多くの感想文が寄せられた。

     ◆

 今年7月13日、瑞穂さんは帰宅途中に意識を失った。食べた昼食が逆流し、気管に詰まった。兵庫医大篠山病院に搬送されたが、心肺停止状態。35分にわたる心臓マッサージ、電気ショックで一命を取り留め、三田市民病院へと移ったが、意識は戻らなかった。

 数日持つかどうかと見られたが、泰子さんが泊まり込みで看病を続けるなか、瑞穂さんは生き続けた。1カ月が過ぎ、「誕生日まで頑張ろうね」。泰子さんは8月25日が近づくにつれ、そう語りかけた。

 迎えた24歳の誕生日。泰子さんは、自身が結婚式で身にまとったピンクのウエディングドレスを着せた。病室の壁には、看護師も手伝って「おめでとう みずほ 24」の色紙を張った。「よくここまで生きてくれた」。涙が止まらなかった。

 「次は結婚記念日。次は泰子の誕生日だよ」。信彦さんは家族の記念日を知らせ、「生き続けて」と願った。瑞穂さんはそれに応えるように1日、また1日と生きた。だが、10月下旬から容体が悪化。11月1日午前9時前、泰子さんが握る手を瑞穂さんが握り返した。瑞穂さんの左目から涙が1粒、流れ落ちた。9時8分。眠るように静かにこの世を去った。

 自宅には、笑顔の瑞穂さんの写真が数多く飾られている。泰子さんは「いま、ただありがとうと言いたい」。信彦さんは「瑞穂に会うと元気になるという人がたくさんいた。家族や地域も良い方向に変えてくれた」と話している
(2009/11/29 09:15)

http://www.kobe-np.co.jp/news/tanba/0002547075.shtml


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