古墳時代中期の石組み方形池跡を発見 奈良・高取の清水谷遺跡

古墳時代中期の石組み方形池跡を発見 奈良・高取の清水谷遺跡:朝日新聞デジタル より

古墳時代中期の石組み方形池跡を発見 奈良・高取の清水谷遺跡
清水謙司
2021/11/18 10:00
池の護岸と考えられる石組みも確認された=2021年11月17日、奈良県高取町の清水谷遺跡

神並・西ノ辻遺跡でみつかった導水施設の模型。貯水池は石組みの方形だ=2021年11月14日、大阪府東大阪市の同市立郷土博物館、清水謙司撮影
神並・西ノ辻遺跡で見つかった古墳時代の導水施設模型。石組みで方形の貯水池が4基並ぶ=2021年11月14日、大阪府東大阪市の同市立郷土博物館、清水謙司撮影
清水谷遺跡=奈良県高取町教委提供
 朝鮮半島出身の渡来人たちが多く住んだとされる奈良県高取町の清水谷遺跡から、石組みで方形をした古墳時代中期ごろ(5世紀中ごろ)の人工池の跡が見つかった。町教育委員会が17日発表した。同じ形態の人工池としては国内最古級という。用途は不明で謎も残るが、専門家は水にまつわる祭祀(さいし)で使われた可能性があると指摘している。
 同町は古代、渡来系氏族「東漢氏(やまとのあやうじ)」の拠点だったとされる。清水谷遺跡では過去の調査で、東漢氏に関係する集落ともされる建物跡などが見つかっている。
 町教委によると、発掘調査で見つかった池は、東西26メートル、南北13メートルの長方形だったとみられる。池の周辺は護岸の跡があり、川原石が積み上げられていた。池の深さは約50センチ。周辺からは5世紀中ごろ~後半ごろの土器も出土した。

 護岸内側の貯水部分からは建物跡も見つかった。渡来人の影響を受けたとされる「大壁(おおかべ)」と呼ばれるものとみられ、東西約12メートル、南北約11メートル。柱穴からは5世紀末ごろの土器が見つかった。5世紀中ごろに造った池を同末ごろに埋め立てて、「大壁」を築いたことが推測できるという。同町では同様の「大壁」がこれまで複数見つかっている。
 白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は、人工池も大壁も渡来人の影響で造られた可能性があると指摘する。日本書紀には、応神天皇の時代に、朝鮮半島の百済などの人たちが関わり、「韓人池」という池が造られたという趣旨の記述がある。
 一方、池の用途については現時点で結論が出ていない。苑池(えんち)や農業用のため池などの可能性もあるが、庭園に詳しい奈良文化財研究所の本中眞所長は、種子や植生のデータが得られていないことなどから、苑池と考えることには慎重だ。「水をためた遺構ということは間違いない」と言う。
 古代の治水や灌漑(かんがい)に詳しい大阪府立狭山池博物館の小山田宏一館長(考古学)も特定は難しいとする。水深が浅いことなどから、農業用のため池の可能性は低いとの見方だ。その上で、出土遺物(馬の歯、刀形木製品など)から、水を使う祭祀をとりおこなった「導水施設」の可能性があると指摘する。
 導水施設は当時の権力者らの祭祀のために、濾過(ろか)して清らかにした水を得ようとつくられたという。小山田館長によると、大阪府東大阪市の神並(こうなみ)・西ノ辻遺跡で、石組みで方形の貯水池などを備えた古墳時代の導水施設が見つかっている。今回の遺構は「形態的にはこれに近いかもしれない」と推測する。
 現地説明会は開かれない。(清水謙司)


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