竜象眼の鉄鏡、古代東アジア交流を映す 大塚山古墳

竜象眼の鉄鏡、古代東アジア交流を映す 大塚山古墳:朝日新聞デジタル より

竜象眼の鉄鏡、古代東アジア交流を映す 大塚山古墳
編集委員・中村俊介
2021/5/27 15:00

鏡面の書き起こし図=西山要一・奈良大名誉教授作図

鏡面のX線CT画像。右側にうっすらと大きな弧を描く線が見える。竜の胴との指摘も=九州国立博物館提供
大塚山古墳出土鉄鏡の鏡面のX線CT画像。左にうっすらと竜の頭部らしき模様が見える=九州国立博物館提供
 世界遺産「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(大阪府)でかつて出土した鉄鏡に、竜の象眼が隠れていた。それも両面に。5世紀の日本列島に君臨したという「倭(わ)の五王」に絡む鏡かも――。そんな想像さえ脳裏をよぎる。
 一見さびだらけの、なんの変哲もない鉄の円板。かつてまばゆい輝きを放った鏡とは、その来歴を知らなければ誰も想像できないだろう。まして、さびに埋もれた表面に象眼模様が隠されていようとは。
 「拾い上げられたのは、はっきりした線だけ。細かい線がもっとたくさんある。それがわかれば」。保存科学が専門の西山要一・奈良大名誉教授は、そう言った。
 鉄鏡は戦後、百舌鳥古墳群(堺市)の大塚山古墳(4世紀末~5世紀初頭)で見つかった。墳丘は宅地開発でもはやないが、かつては同古墳群で5番目の規模を誇った大型古墳で、鉄鏡はその主の持ち物だった。
 西山さんや堺市博物館、鏡を所蔵する関西大考古学研究室の関係者がこのほど、九州国立博物館(福岡県太宰府市)撮影のCT画像を再検証したところ、竜をかたどる金属線が両面に浮かんだ。対象を立体的に切り取るCTの500コマ近い画像をつなぎ合わせ、分断された象眼線が描く全体像をつかんだのだ。
 西山さんによれば、銀は金に比べて輪郭がぼやけやすく、鉄鏡の図像は「額田部臣(ぬかたべのおみ)」銘文で知られる岡田山1号墳(松江市)の銀象眼大刀の状態に似て、銀線らしい。鳳凰(ほうおう)のような図像もあり、本来はもっと複雑な模様が刻まれていたとみられる。
 神秘的な鏡は、古代人があの世に旅立つ際の重要なアイテムだった。全国の古墳からは数千枚もの青銅製の鏡が見つかっており、弥生時代にさかのぼれば北部九州の墓に中国鏡が副葬された。3世紀の日本を伝える「魏志倭人伝」にも、魏の皇帝が卑弥呼に「銅鏡百枚」を贈ったとの記述があるように、倭人は根っからの鏡好きだったらしい。
 ただし鉄製の鏡は、ほんの10例前後。すっかりさびて見栄えも悪く、研究素材としても等閑視されてきた。
 ところが本場中国では、権威の象徴は2世紀ごろに銅鏡から鉄鏡に移るともいう。2008年に確認された三国時代魏の英雄、曹操の墓とされる「曹操高陵」(河南省)でも鉄鏡が見つかり、ダンワラ古墳(大分県日田市)出土と伝わる鉄鏡に酷似する、と話題を呼んだ。「ダンワラ鏡」は発見状況こそ不明ながら金銀や貴石で装飾を施す豪華さで、権威の象徴の名に恥じない。大塚山古墳の鉄鏡もまた、そんな中国鏡のひとつだったと言えそうだ。
 「百舌鳥・古市」では甲冑(かっちゅう)や農工具など多くの鉄製品が見つかっている。河野一隆・九州国立博物館学芸部長は「この時期、鉄製品はステータスだった。大塚山鉄鏡もこの流れのなかで重きを置かれ、選択されたこともありうる」という。
 だが、縁に沿って大きく弧を描く竜の意匠は、古墳出土鏡には異例のデザインだ。三角縁神獣鏡や方格規矩(きく)四神鏡といった銅鏡に見られる図像とも趣が違う。「中国で竜などを単体で描くダイナミックな表現は後漢代(紀元25~220年)あたりから見え始めるので、その流れに乗ったものとは言えるでしょう」と中国考古学の来村多加史・阪南大教授。ただし比較資料が少ないだけに、その意味するところはよくわからない。
 いったい、この鏡を誰が入手したか。大塚山古墳の被葬者はどんな人物だったのか。
 『宋書』は5世紀の日本列島に「倭の五王」がいて、それぞれ中国に使いをよこしたと記す。「百舌鳥・古市」はまさにこの時期を代表する古墳群で、5人のいずれかが眠るとされる。とすれば、その一角に築造された大塚山古墳の被葬者も、古代東アジアの交流を通じて貴重な鉄鏡を手に入れるほどの有力者だったとみてよさそうだ。五王やその関係者に連なっていく重要人物だったのだろうか。
 その少なさと残りの悪さから、学界の関心もいまひとつ薄い古墳出土の鉄鏡。だが、「再調査すれば現れる模様がほかにあるかも」(米田文孝・関西大教授)。まだ見ぬ倭の五王の遺産が、どこかに人知れず眠っているかもしれない。(編集委員・中村俊介)


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