世界遺産の縄文17遺跡 記者が空から発見できた共通点:朝日新聞デジタル より
北海道・北東北の縄文遺跡群
世界遺産の縄文17遺跡 記者が空から発見できた共通点
編集委員・宮代栄一
2021/5/26 19:14
世界文化遺産に登録される見通しになった北海道・北東北の縄文遺跡群。17の構成資産は津軽海峡を挟んで計4道県に広がり、全部見て回ろうとすれば最低でも5日以上はかかりそうだ。主だった遺跡を考古学の専門記者が空から駆け足で巡った。
北海道・北東北の縄文遺跡群、世界遺産へ 諮問機関勧告
《北海道》
●北黄金貝塚(伊達市)
東京・羽田から小型ジェット機で1時間あまり。眼下に道央の南端にあたる室蘭港が見えてきた。しばらくすると北黄金貝塚(伊達市)が視界に入ってくる。7千年前から5500年前の大規模な貝塚と集落跡で、史跡公園として整備されている。内浦湾から数百メートルほどの小高い丘の上に、ぽつんと白い楕円(だえん)形のしみのようなものが見える。復元された貝塚の貝層展示らしい。台地の左右には、谷が入っているのがよくわかる。
北海道・北東北の縄文遺跡群の構成資産、「北黄金貝塚」(中央)=2021年5月24日、北海道伊達市、朝日新聞社機から、池田良撮影
●入江貝塚、高砂貝塚(洞爺湖町)
そこから西へ1分ほど飛ぶと、入江貝塚(洞爺湖町)が見えてきた。隣り合うように数百メートル先に高砂貝塚(同)も見える。
隣り合うように位置する入江貝塚(左)と高砂貝塚(右)=2021年5月24日、北海道洞爺湖町、朝日新聞社機から、池田良撮影
緑の芝の中に、復元された貝層の白が目立つ。入江貝塚は約3800年前、高砂貝塚は役3千年前の遺跡で、貝塚や墓などからなる。
入江貝塚は小児まひや筋ジストロフィーなどが原因と考えられる筋萎縮症にかかった人の骨が出土したことで有名だ。この縄文人は成人だったため、動けない人を集落全体で支える仕組みがあったと考えられている。
北海道・北東北の縄文遺跡群の構成資産、「入江貝塚」(中央)=2021年5月24日、北海道洞爺湖町、朝日新聞社機から、池田良撮影
北海道・北東北の縄文遺跡群の構成資産、「高砂貝塚」(中央)=2021年5月24日、北海道洞爺湖町、朝日新聞社機から、池田良撮影
●鷲ノ木遺跡(森町)
昭和新山のわきを旋回し10分ほど飛ぶと、鷲ノ木遺跡(森町)が見えてきた。北海道では最大級といわれる約4千年前の環状列石だ。直径37メートルの円状に二重に石を立て、内部に竪穴や墓がつくられていた。
鷲ノ木遺跡はその真下を高速道路(北海道縦貫自動車道)が通っていることでも有名だ。このような遺跡は世界的にも珍しい。遺跡を壊さないよう、道路はトンネルを通っているが、世界遺産登録に際しては構成資産ではなく、関連資産という扱いになった。遺跡は表面に保護のためのシートがかけられているようで、上に置かれた重しの列が幾何学模様のように見えた。
北海道・北東北の縄文遺跡群の関連資産、「鷲ノ木遺跡」。遺跡の下には高速道路がある=2021年5月24日、北海道森町、朝日新聞社機から、池田良撮影
●大船遺跡(函館市)
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さらに南下すると、大船遺跡(函館市)が現れた。5500年前から4千年前の集落遺跡で、太平洋に面した高台に、複数の竪穴式住居が復元されているのが見える。一つは茅葺(かやぶ)きだろうか、そしてもう一つは木材による骨組みだけ、さらには竪穴だけというのもあって、比較できるようになっているようだ。実際、この遺跡の住居の中には深さ2メートルに及ぶものがあったことが明らかになっている。
北海道・北東北の縄文遺跡群の構成資産、「大船遺跡」(中央)=2021年5月24日、北海道函館市、朝日新聞社機から、池田良撮影
●垣ノ島遺跡(函館市)
大船遺跡の少し南に位置しているのが、垣ノ島遺跡(函館市)だ。やはり太平洋を望む段丘上につくられた5千年前の集落跡。考古学者たちはこの時期から、集落と墓が区画されたと考えており、墓からは幼児の足形をつけた粘土板が出土したことでも有名だ。遺跡では縄文人がとった多様な魚の骨も見つかった。空からは、今も海岸線に定置網が設置されている様子が見え、現在も海の恵みが豊富である様子がうかがえた。
北海道・北東北の縄文遺跡群の構成資産、「垣ノ島遺跡」=2021年5月24日、北海道函館市、朝日新聞社機から、池田良撮影
《青森県》
●大平山元遺跡(外ケ浜町)
函館空港で燃料補給し、津軽海峡をわたった。
津軽半島の内陸部に位置する大平山元(おおだいやまもと)遺跡(外ケ浜町)は世界最古級とされる1万5千年前の土器が出土したことで知られる。しかし、上空を一度飛んだだけでは、遺跡の場所がはっきりしない。数回飛ぶうちに、ようやくそれらしき場所がわかった。遺跡は保存されているが、整備前で、その場所には空き地が広がっている。縄文時代が始まったばかりのころの居住の形は、まだよくわからないことが多い。復元もさぞ大変だろうと思った。
北海道・北東北の縄文遺跡群の構成資産、「大平山元遺跡」(中央)=2021年5月24日、青森県外ケ浜町、朝日新聞社機から、池田良撮影
●三内丸山遺跡(青森市)
さらに10分ほど南下すると、三内丸山遺跡(青森市)が見えてきた。5900年前から4200年前に営まれた大集落だ。竪穴建物、掘立柱建物、貯蔵穴、墓、盛土遺構などの多彩な施設を伴うことで知られる。全国に4遺跡しかない縄文時代に属する特別史跡の一つで、その存在感はまさに国宝級。丘一つが丸ごと史跡公園になっている。
だが、遺跡の公開から20年以上が過ぎ、現在、有名な6本柱の復元された「大型掘立柱建物」が長寿命化工事の真っ最中。傷んだ部分を削り、樹脂を入れる作業などが行われており、仮設の覆い屋で隠されていた。空から見ると、遺跡は学校や県立美術館などに囲まれており、今や、一種の文化ゾーンを形成している様子が見て取れた。
北海道・北東北の縄文遺跡群の構成資産、「三内丸山遺跡」=2021年5月24日、青森市、朝日新聞社機から、池田良撮影
北海道・北東北の縄文遺跡群の構成資産、「三内丸山遺跡」(右)。左は青森県運転免許センター=2021年5月24日、青森市、朝日新聞社機から、池田良撮影
《秋田県》
●伊勢堂岱遺跡(北秋田市)
南へ進むと、大館能代空港近くの斜面に複数の円が見えてきた。伊勢堂岱(どうたい)遺跡(北秋田市)は4千年前から3700年前にかけての祭祀(さいし)遺跡で、四つの環状列石が並んでいることで知られる。
北海道・北東北の縄文遺跡群の構成資産、「伊勢堂岱遺跡」=2021年5月24日、秋田県北秋田市、朝日新聞社機から、池田良撮影
●大湯環状列石(鹿角市)
次に訪れたのは、やはり秋田県の大湯環状列石(鹿角市)。同じ環状列石でも伊勢堂岱遺跡とは異なり、南北に延びる細長い台地の中央部に、二つの円がくっきりと浮かぶ。一つの周囲には復元住居が並んでいるようだ。
大湯環状列石も全国に四つしかない縄文時代の特別史跡の一つで、「大湯のストーンサークル」といえば世界的にも有名だ。時期は4千年前から3500年前のものとされる。
しかし、よく見ると、列石である二つの円の間を道路が横切っている。たぶん、かなり前からこの道はあったのだろうが、最近の史跡公園ばかり見てきた目には、やや違和感を覚えた。
二つのストーンサークル(環状列石)を主体とした「大湯環状列石」=2021年5月24日、秋田県鹿角市、朝日新聞社機から、池田良撮影
《岩手県》
●御所野遺跡(一戸町)
最後に向かったのは、御所野遺跡(一戸町)だ。川沿いにある段丘の上に、墓域にあたる配石遺構や、祭祀の場である盛土、さらには大小の竪穴式住居、掘立柱建物などが並ぶ集落遺跡で、4500年前から4千年前のものと考えられている。
上からみても、掘立柱建物や種類の違う竪穴式住居、さらには配石遺構などの形の違いや、その配置の違いなどがよくわかり、次はぜひ地上から訪れてみたいと思った。遺跡の入り口にはつり橋がかかっており、そこが古代と現代を結ぶ役割を果たしているようだ。
北海道・北東北の縄文遺跡群の構成資産、「御所野遺跡」=2021年5月24日、岩手県一戸町、朝日新聞社機から、池田良撮影
空から見てわかったのは、今回、登録勧告された縄文遺跡の多くが、非常に優れた立地を選んでつくられているということだ。貝塚の多くは海から近い高台にあり、集落もやはり高台にあって、近くには必ず川がある。
ただし、秋田県の大湯環状列石などの周囲は今や一面の田んぼになっており、採集狩猟民だった縄文人の暮らしの跡が、弥生文化の象徴ともいえる水稲に取り囲まれている様子に、歴史の皮肉のようなものを感じた。駆け足ではあったが、中身の濃い、6時間弱の空の旅だった。(編集委員・宮代栄一)