「国宝級」の玉虫入り馬具と判明 福岡・船原古墳で出土

「国宝級」の玉虫入り馬具と判明 福岡・船原古墳で出土:朝日新聞デジタル より

「国宝級」の玉虫入り馬具と判明 福岡・船原古墳で出土
今井邦彦
2020/11/13 20:00
 福岡県古賀市の国史跡・船原(ふなばる)古墳(6世紀末~7世紀初め)で出土した多数の馬具の中に、玉虫の羽を組み込んだ装飾があることがわかった。市教育委員会が13日発表した。玉虫を使った装飾は法隆寺(奈良県)の玉虫厨子(ずし)など国宝にみられるが、馬具に施されているのが確認されるのは初めて。市教委は「国宝級の価値がある」としている。

船原古墳から出土した玉虫が装飾された馬具=2020年11月13日、古賀市、金子淳撮影
 今回玉虫の羽が見つかったのは、馬の腰につり下げる「杏葉(ぎょうよう)」という装飾(幅約10センチ)。
 植物の葉の文様を透かし彫りにしたハート形の金銅板と土台の鉄板の間に、20枚ほどの玉虫の羽が敷き詰めるように挟み込まれていた。

船原古墳から出土した玉虫が装飾された馬具。指さした部分などに玉虫の羽が見られる=2020年11月13日、古賀市、金子淳撮影

杏葉(ぎょうよう)に組み込まれた玉虫の羽の配置図=福岡県古賀市教委提供
 羽は黒く変色していたが、市教委は模型とコンピューターグラフィックス(CG)で元の姿を復元した。(今井邦彦)

船原古墳から出土した玉虫の羽を装飾した馬具の復元模型=2020年11月13日、古賀市、金子淳撮影

当時の姿を復元したCG=福岡県古賀市教委提供
 福岡県古賀市の船原古墳の出土品から見つかった玉虫入りの馬具は、この地域が古代の日本と朝鮮半島の交流に重要な役割を果たした場所であることを改めて浮き彫りにした。朝鮮半島の新羅でも最高級品とされた馬具を入手したのは、どんな人物だったのか、研究者も注目する。
 船原古墳は全長約37メートルの前方後円墳。2013年、墳丘そばの埋納坑(穴)から、金銅(金めっきをした銅板)製馬具など大量の副葬品が出土し、16年には国の史跡に指定された。

玉虫馬具が出土した船原古墳そばの埋納坑=福岡県古賀市、同市教委提供
 玉虫馬具は、韓国・慶州の皇南大塚古墳や金冠塚古墳など5世紀の新羅の王族の墓とみられる古墳で出土する。日本では沖ノ島(福岡県)の祭祀(さいし)遺跡で玉虫を飾ったベルトの飾り金具が見つかっており、馬具の一部の可能性があるとされているが、確実な玉虫馬具の発見は船原古墳が初めて。
 日韓の玉虫を使った装飾品について研究している元大阪府高石市教委職員の神谷正弘さんは「新羅の玉虫馬具は6世紀には重臣クラスの墓にも収められるようになるが、それでも大変な貴重品のはず」と話す。優れた航海術でヤマト王権と朝鮮半島の外交を仲介し、その見返りとして交易を許されていた人物が入手したものだと推定した。
 朝鮮半島の馬具に詳しい諫早直人・京都府立大准教授は、新羅では日本からの輸入材料を使った金工品が珍重されており、玉虫も新羅より温暖で繁殖に適した日本から輸入していた可能性が高いと指摘する。「船原古墳からは緑のガラスをはめ込んだ金銅製馬具も出土しており、緑に輝く玉虫の杏葉もこれとセットかもしれない。被葬者はこの時期に活発化した新羅との外交で活躍し、急速に台頭した人物では」と語った。
 船原古墳の調査指導委員を務める桃崎祐輔・福岡大教授は、古墳の近くで厩(うまや)とみられる大型建物跡が見つかっていることから、大量の馬具が副葬されたこの古墳の被葬者が、大和(今の奈良県)と外交拠点だった北部九州の糟屋(かすや)とを早馬で結ぶ通信網に関与した人物だったとみる。「朝鮮半島の情報をいち早く大和に伝える責任者であると同時に、朝鮮半島の百済(くだら)や新羅、中国の隋からの使者を迎えて、大和に送り出す外交官でもあった。そうした地位の役得として、新羅から玉虫馬具を入手したのだろう」と推測した。
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 玉虫馬具は14日~12月20日、古賀市中央2丁目の市立歴史資料館で公開される。(今井邦彦)


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