猪名部は新羅系の渡来人に違いは無いが

「『日本書紀』巻第十の応神天皇紀には、官船「枯野」のエピソードがある。老朽化した船を焼いて取った塩を諸国に売って資金を得て、新しい船を建造することになり、諸国から500船が集ったが、武庫水門に停泊中に新羅船の失火が引火したことが原因で多くが焼失してしまったため新羅人が責められた。新羅の国王はこのことを聞き、大いに驚き慌てて優れた工匠を奉った。これが「猪名部」の先祖だと紹介されている。」
猪名部真根 – Wikipedia より

4世紀後半の倭国は古墳時代前期で騎馬はまだ伝わっておらず戦力的に大陸に対抗できておらず百済、新羅には勝てても高句麗に負けている。

百済や新羅とは敵対したり同盟したり当時の大陸の不安定さによって倭国は頻繁に朝鮮半島に出兵している。

これは倭国は伽耶は倭国(連邦)の一員であって伽耶からの鉄材が倭国にとって重要であった現れであったんではないだろうか。

百済や新羅から倭国に王の子を倭国に人質に出したからとしても征服された属国という印象が無い。休戦協定程度の関係に思える。
例え属国であったとしても船が焼けたからといって技術者を派遣するとは思えない。

また、三国志の赤壁の戦いでもあるまいに揚子江ではない武庫川や神崎川に500艘の船が燃えるほどの大きな港が当時の倭国にあったとも信じがたい。

実際は、
「4世紀後半頃に武庫水門の周辺地域に新羅の優れた技術を持った人たちが集団で渡来した。これが「猪名部」の祖先だ。」

という言伝えだったというところだろう。

参考

4世紀の東アジア情勢(古代史の復元)

東アジア諸国との交渉 | 世界の歴史まっぷ

関連記事Similar Posts:

カテゴリー: 古代妄想 パーマリンク