なるほど。
フクシマ50を観ました。
全編ヒロイズムを謳うために事実誤認、嘘の数々
一緒に出口を出た20代女性2人「私、日本に生まれて良かったと初めて思った」「私も。死ぬなら2人でって手紙すごいよね」
途中で嘘っぱちばかり!と叫びたくなった私はゾクッとしました。以下事実誤認を— 木村結 (@yuiyuiyui1114) March 8, 2020
①ベントが菅直人のために遅れた
→住民の避難を待っていた、また手動でのベントは東電が成功と言った時間には実はできていなかった
②海水注入を官邸が止めた
→東電の武黒がやめさせようとした
③米軍はトモダチ作戦を実施
→トモダチと言いつつ、後日巨額の請求。海兵隊員は被ばく、40人以上死亡— 木村結 (@yuiyuiyui1114) March 8, 2020
400人以上が東電と日本政府を告訴
④協力企業の社員に吉田所長が帰ってもらう
→協力企業は事故時契約がないため柏崎刈羽に全員引き上げ
⑤地震だけなら全電源喪失をカバーできた
→地震で外部電源喪失
⑥想定外の津波と2回も
→吉田所長は15.7mの津波の警告を握りつぶした張本人— 木村結 (@yuiyuiyui1114) March 8, 2020
⑦作業員に帰宅を促す
→700人に近くで待機の命令を出したが650人が第二へ命令違反で撤退し、結果50人しか残らなかった原作が門田氏ですが、監督にチョット期待してしまったのを反省。国会事故調や政府事故調の資料くらいは読んで欲しいですね。
予想以上に酷い映画でした。— 木村結 (@yuiyuiyui1114) March 8, 2020
映画『Fukushima 50』はなぜこんな「事実の加工」をしたのか?(中川 右介) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
映画『Fukushima 50』はなぜこんな「事実の加工」をしたのか?
観客をミスリードする作り
中川 右介プロフィール
シェア1,643ツイート96
福島第一原子力発電所の事故を描いた映画『Fukushima 50』(若松節朗監督)が3月6日公開される。
これは、一種の「戦争映画」だ。福島第一原発を戦場として描き、吉田所長以下の職員たちを兵士として英雄的に描く。
娯楽映画として、よくできている。
原発のプラント内の再現度が高い。といって、私自身が実際の原発を見ているわけではないので、どこまで再現されているかは確証できないが、リアルに感じた。
凄まじい事故だということ、原発内部の構造がよく分かる。そして、現場の職員たちの危機感もよく伝わってきた。よくぞ、日本は無事だったと思う。
しかし、大きな問題のある映画だ。
混乱の元凶は「総理」だったのか?
娯楽映画なので、作劇上、主人公であるヒーローに対し、悪役が必要なのは分かる。
この映画が扱う戦争では、倒すべき相手は「どこかの国」でもテロ組織でもなく、暴走している原発だ。
そして原発そのものは敵ではない。むしろ、職員たちは原発を愛しており、傷ついて苦しんでいるのをどうにかしてやりたいという感情を抱いている。原発を救おう、という感覚だ。
この映画での悪役は、自分は安全なところにいて、無理なことばかり言う東電本店の役員たちであり、分かりもしないのに口を出してくる首相官邸なのだ。
といって、それは「敵」というほど大きな存在ではなく、「障害」程度だ。
その障害である「総理」を、佐野史郎が演じている。
佐野が脚本を読んで考えた演技で監督が認めたのか、監督の指示による演技なのかは分からないが、この映画での「総理」は、かなり浮いている。彼だけが熱くなり、ヒステリックにわめきちらしている。
「総理」は混乱の元凶のように、描かれている。
巧妙なエクスキューズ