徳島に弥生時代後期の鉱山遺跡か 「朱色」の原料の辰砂

徳島に最古の鉱山遺跡か 卑弥呼も入手?「朱色」の原料:朝日新聞デジタルより
徳島に最古の鉱山遺跡か 卑弥呼も入手?「朱色」の原料
佐藤常敬、渡義人 2019年3月1日13時00分

 朱色の原料である辰砂(しんしゃ)と呼ばれる鉱物の採掘跡とされる徳島県阿南市の若杉山遺跡で、弥生時代後期(1~3世紀)とみられる土器片がみつかった。阿南市と県教委が1日発表した。この時期にすでに採掘が始まっていたとみられ、国内最古の鉱山遺跡となる可能性が高まったとしている。

 市文化振興課などによると、辰砂は水銀と硫黄の化合物。古代には辰砂を含んだ岩石を砕き、死者の顔や棺(ひつぎ)、古墳の石室などに塗った。朱は権力の象徴とされ、3世紀の中国の三国時代の歴史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」によると、倭(日本列島)の山では丹(辰砂)が採れ、女王卑弥呼が中国王朝に丹を献上したとされる。

 若杉山遺跡は全国唯一の辰砂の採掘遺跡。坑道跡とみられる横穴や露天採掘場所などが確認されていた。今年度の調査で、若杉山の山腹(標高245メートル)の坑道跡(高さ0・7~1・2メートル、中心部の幅約3メートル、奥行き12・7メートル)で複数の土器片が出土。このうちの5点に弥生時代後期の土器の特徴がみられた。国内の鉱石採掘跡は山口県美祢市の長登(ながのぼり)銅山跡(8世紀ごろ)が最古とされてきたが、500年以上さかのぼることになる。

 若杉山遺跡からは山陰や近畿など別の地域の特徴をもった土器も出土し、辰砂を通じた交流が広範囲にわたっていたとみられる。

 石野博信・兵庫県立考古博物館名誉館長(考古学)は「魏志倭人伝にも丹の存在が記され、3世紀の西日本における朱の生産は中国でも注目されていたのだろう。その存在が遺跡としてはっきりしてきたことの意義は大きい」と話す。

 大久保徹也・徳島文理大学教授(考古学)は「若杉山の採掘坑跡は穴を掘り進んで辰砂を採っていたとみられ、鉱脈を理解した上で掘り進めるという高い技術力があったと考えられる」と話す。

 23日午後1時半から、阿南市富岡町のひまわり会館で調査の報告会を開く。市文化振興課の専門職員が発表し、徳島大学理工学部の石田啓祐教授(地質学)が解説する。無料。問い合わせは県教委教育文化課(088・621・3161)へ。(佐藤常敬、渡義人)

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