応神天皇の時代まで末子相続だったってことは天皇の祖先は騎馬民族だった

末子相続 – Wikipediaより
『日本では邇邇芸命、彦火火出見尊など神話時代から応神天皇の時代にまでおける末子相続がみられる。これらの相続について、古事記や日本書紀には兄が死亡したり、怖気づいたりして弟に皇位を譲るという伝承があるが、これは末子相続による継承を不可解に思った後世の人物の付会である。[2]また古代出雲族に末子相続の習慣があったとされている。

葛城王朝説を唱えた鳥越憲三郎は、著書「神々と天皇の間」において、神話時代から葛城王朝および三輪王朝の古代天皇までは第二子相続であり、長子は神官となって一定の権威を保持していたが妻帯せず、後代になって神官の役割が重視されなくなることによって長子の事績の記録が失われたものであり、仁徳天皇の代以降になると、第二子相続が守られなくなることによって兄弟の相続争いが頻発するようになったとする説を展開しているが、神八井耳命、大彦命、豊城入彦命など多くの皇室の長兄は子孫がおり、当然妻帯していたはずで彼の理論には疑問がある。[3]

近代においては、近畿[4]、瀬戸内、九州[5]の一部地域の漁村でその例をみることができる。漁村で末子相続が行われる理由として、水田・畑のような財産となる土地を持たず、財産分与の問題が生じにくいことや、子が労働年齢に達すれば直ちに海に出るために生命の危険が多く、末子に継がせることがより安全である、というものがある。

このほか、長野県諏訪地域では、江戸時代後半から昭和戦前期まで末子相続が見られた[6]。この場合、長男次男などは江戸に奉公や出稼ぎに出かけ、男性の末子が田畑を相続し両親の扶助を行った。この地域の田畑の生産力が低いことと、江戸時代中期以降に耕地の細分化と核家族化がすすんだ[7]ため、こうした風習が成立したと考えられている。』

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