奪われた「しまくとぅば」を取り戻す 安室ライブの裏で

奪われた「しまくとぅば」を取り戻す 安室ライブの裏で:朝日新聞デジタルより
奪われた「しまくとぅば」を取り戻す 安室ライブの裏で
安田桂子2018年9月19日11時27分

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祖先が代々まつられている「神屋」。祈りを欠かさない祖父との会話が、沖縄の歴史やしまくとぅばを学ぶきっかけとなった=6日、沖縄県南城市
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「しまくとぅば語やびら大会」に出場し、参加の賞状を笑顔で受け取る仲村美里さん=15日、沖縄県西原町

 沖縄出身の歌手・安室奈美恵さんのラストライブが開かれる3時間前の15日午後、ライブ会場から約9キロの沖縄県西原町のホールは500席が埋まり、立ち見が出ていた。

 沖縄の昔ながらの言葉「しまくとぅば(島言葉)」に親しんでもらおうと、県文化協会が年に一度開く大会。地区予選を通過した7~78歳の20人が出場し、共通語の字幕もついた会場は笑いと指笛、拍手に包まれた。

 昨秋から公民館で習い始めた南城市の仲村美里さん(23)は、伝統衣装の「琉装」で壇上へ。「沖縄(うちなー)ぬ歴史・文化 語てぃちなじいちゅる 人材んかいないぶさん」。沖縄の歴史や文化を語り継いでいく、と語った。

 9月18日は「しまくとぅばの日」。島言葉を話せる人が少なくなった危機感から2006年、県条例で定められた。県は共通語と同じか、それ以上に使える人の割合を来年に40%とする目標も掲げる。ただ、16年度調査でも、島言葉が「よくわかる」と答えたのは70歳以上で71%だが、60代で43%、50代で17%、全体で18%にとどまる。

 失われた背景には、特有の歴史がある。琉球王国だった沖縄は約140年前、明治政府の「琉球処分」で日本に組み込まれた。「皇民化教育」で標準語が徹底され、沖縄戦では島言葉を話し、スパイとみなされ殺害された住民もいる。学校では「方言札」を首から下げられるという懲罰が、戦後も続いた。

 「ヤマト(本土)が上で、うちなー(沖縄)は下。そんな構造を押しつけられ、しまくとぅばに劣等感を抱いた世代は口にしなくなった」と、県しまくとぅば普及センターの照屋敏恵さん(60)は話す。

 お年寄りから「話すなと言っていた言葉を今になって話せというのか」と憤りをぶつけられたこともあり、島言葉を話せる人を増やす取り組みは「否定され、奪われた『うちなーらしさ』を取り戻すこと」とも、照屋さんは考える。

 仲村さんの祖母も、「方言札」を下げられ、罰を受けた一人。家ではほとんど話さない。ただ、15日の大会は見に来てくれて、衣装をほめてくれた。一方で、仲村さんは言葉を学び、仏壇や祈りの場である「御嶽(うたき)」で手を合わせる祖父のつぶやきが、家族の健康と幸せへの感謝だったともわかった。

 奪われたものと、受け継がれてきたもの。その重みを痛感するいま、仕事で観光にもかかわる仲村さんは「いつでも誰からでも、自然に出てくる。そんな言葉にしたい」と言う。

 いちゃりばちょーでー(出会えばみな、きょうだい)の精神で。チムグクル(思いやる気持ち)を――。知事選で飛び交う島言葉に込められた思いとは。仲村さんは、そんな視点も大切にし、初めての一票を投じる。(安田桂子)


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