「恩返し」で私費10億円 バリアフリーな尼崎城天守、駅前に姿現す

「恩返し」で私費10億円 尼崎城天守、駅前に姿現す:朝日新聞デジタルより
「恩返し」で私費10億円 尼崎城天守、駅前に姿現す
宮武努2018年8月28日06時54分

 明治の廃城令(1873年)で取り壊された尼崎城の天守が145年ぶりに、兵庫県尼崎市の阪神尼崎駅近くに姿を現しつつある。鉄筋コンクリート造りで再建され、高さは石垣部分を含めて約24メートル。10月に完成し、来年3月29日に内部の一般公開が始まる予定だ。

 尼崎城は江戸時代初めに築かれた尼崎藩主の居城。4層の天守は廃城令で跡形もなく撤去された。尼崎市は工業都市化が進み、城下町の面影はほとんど失われたが、3年前に旧ミドリ電化(エディオングループと合併)創業者の安保詮(あぼあきら)氏(85)が「創業の地に恩返ししたい」と私費で新天守を建てる意向を表明。阪神尼崎駅近くの城址(じょうし)公園で工事を進めてきた。

 市によると、安保氏が投じる建設費は十数億円にのぼる見通し。新天守は、江戸時代の図面をもとに大きさや外観を忠実に再現しているが、位置や向きは土地の事情に合わせて変更されている。完成後は市へ寄贈され、歴史館として利用される予定だ。

 再建に合わせて市が昨年から寄付を募り、今月17日時点で市内外の個人・団体から約1億4463万円(うち約459万円はふるさと納税)が寄せられた。天守の内装や展示内容の充実に充てる。(宮武努)


尼崎城整備に係る展示計画 尼崎市より
はじめに
 尼崎城は、元和 3 年(1617)に5万石の大名として赴任してきた戸田氏鉄(とだ うじかね)によって、現在の北城内・南城内の約 300 メートル四方、三重の堀をもち、甲子園球場の約 3.5 倍に相当する敷地に築かれた。しかし、明治 6 年(1873)に廃城が決まった後、城の建物は売却されたり、取り壊されたり、堀も次第に埋められていったために、今では全くその姿を見ることはできなくなった。なお、近年の発掘調査により遺構や遺物が発見されている。
 本市では、阪神電鉄尼崎駅の南側の寺町や尼崎城跡を中心とした地域を歴史・文化ゾーンと位置づけ、地域資産を生かした歴史、文化の視点からの魅力づくりを進めていくこととしていた。しかし、本市財政状況の悪化等から周辺整備を含めた取組が十分に進んでいない状況にあった。そうしたなか、平成28年に市制 100 周年という区切りを迎えることを鑑み、城内地区を中心に「都心と歴史文化ゾーンが調和した交流と学びの拠点の創生」を目指した整備に取り組むことを検討してきた。
 こうしたなか、「尼崎城を建築し、子どもからお年寄りまで歴史を学べ、楽しめる場所を提供したい、末永く市民に愛されるよう整備したい」という意向が旧ミドリ電化の創業者、安保 詮(あぼ あきら)氏から寄せられ、尼崎市長と平成27年11月25日付けで「尼崎城の建築および寄附に関する協定」を締結し、平成28年12月から関連工事が始まっている。
 再建する尼崎城天守(以下、「尼崎城天守」という)は、本市の歴史的な地域のシンボルとしての活用のみならず、城内地区や寺町、さらには商店街などもめぐっていただくための観光資源としても期待できるものであり、また、寄附いただいた後は本市が管理・運営を行っていくことも踏まえ、その具体化に向け、専門家や設計者と本市との間で協議の機会を設け、これまで検討を重ねてきた。
 本計画は、こうしたことを踏まえ、尼崎城天守の基本的な方針や施設内容、運営および事業計画等についての方向性を明らかにしようとするものである。

4 建物の考え方
(1) 当時と立地場所が異なること、建築に係る予算や今後の維持管理費抑制の観点を踏まえ、現代工法(鉄筋コンクリート造)を採用する。
(2) 近世尼崎城の資料を参考に設計し、内外部の素材についてはできる限り伝統的な素材、工法を採用する。
(3) 敷地条件から、当時の尼崎城の天守(北東隅櫓)を含めた1/4程度の範囲について再建することとし、城郭としての構えを維持し天守への動線を本丸外から本丸内へと連続的に確保するため本丸の配置を東西反転し、天守から東方向と南方向へ展開する構えをとる。
(4) 内部にはエレベーターを配置し、気軽に、また安全に来城できるよう整備する。

天守5階


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