旧石器時代 石垣島から最古の全身骨格

当時は氷河期で揚子江からの流氷づたいに歩いて渡れたに違いない。
旧石器時代、日本人の顔は? 石垣島から最古の全身骨格:朝日新聞デジタルより
旧石器時代、日本人の顔は? 石垣島から最古の全身骨格
神田明美2017年10月19日11時42分

 国内最古、2万7千年前の全身骨格が、沖縄県・石垣島の遺跡から見つかった。人骨千点余りから、これまでに19体分が確認され、頭骨も4体分含まれていた。特に期待されているのが、人の特徴がもっとも現れる顔の立体的な復元だ。旧石器時代、沖縄・八重山諸島にいた人はどんな顔つきだったのか。作業が進められている。

 5月に発表された、石垣島・白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡の旧石器時代の人骨数は、少なくとも19体分とされたが、今後の研究でさらに人数が増える可能性もある。ここでは2008年に、初めて人骨が見つかり、昨夏まで発掘が続けられてきた。

 大腿(だいたい)骨や歯、肋骨(ろっこつ)など、見つかった骨片を元に、病気やけがの痕跡、食生活などについて、専門家が現在分析を進めている。

 研究を率いる土肥直美・元琉球大准教授は特に顔の復元に期待する。「今回の発見で、違う場所に住んでいた人の顔つきを比べられるようになる」と話す。日本列島で見つかった旧石器時代の頭骨はこれまで、沖縄本島の港川フィッシャー遺跡のみだからだ。

 慶応大の河野礼子・准教授は現在、頭骨の復元を進めている。破片をつなげてCT撮影し、立体的な形をデータ化。左右どちらかが欠けている部分は片方の骨を反転させて補った。このデータをもとに、3次元プリンターで造形した。

 河野さんによると、「港川人」の頭骨は三つとも似ており、現代の東南アジアやオーストラリア先住民に見られる特徴があったという。国立科学博物館が10年に発表した港川人の顔の想像図には、その特徴が反映されている。一方、今回の「白保人」の頭骨には違った特徴があり、それぞれの顔つきも異なる可能性があるという。

 国立科学博物館の篠田謙一・人類研究部長らが白保人の骨の一部のDNAを解析したところ「これまで解析できたDNAでは、東南アジアや中国南部に特徴的な遺伝子型を持っていたことがわかった」と話す。

 こうした解析も参考にしながら、肉や皮膚を模した材料を使って、立体的な顔の復元を目指す。河野さんは「皮膚の色や髪形、目つきなど、骨から分からない部分をどうするかによっても、顔つきは変わるため、慎重に進める必要がある」と話している。

■八重山諸島にどうやって?

 旧石器時代に、石垣島へどのように人が渡ってきたのかも、大きな謎だ。

 科博の篠田さんらによる白保人のDNA解析の結果、南方から北上した人たちが到達したと考えられている。日本列島周辺の海面は、現在より50~60メートル低かったとされるが、石垣島や与那国島など八重山諸島は当時も島だった。そのころは大陸と陸続きだった台湾と、最も台湾に近い沖縄県の与那国島でも最短距離は約110キロ。間には黒潮が流れている。

 科博の海部陽介・人類史研究グループ長は白保人について「舟で台湾付近から渡ってきたとしか考えられない」と言う。その説を実証するため、3万年以上前に現地で調達できた草などの材料と、当時の道具を使って古代の舟を再現し、海を渡る実験を続けている。

 昨年は、再現した草舟で与那国島から東に約75キロ離れた西表島への航海を試したが、潮に流されて途中で断念した。現在は、2年後に台湾から与那国島への航海を計画している。その前段階として6月、竹で作ったいかだで台湾沖をテスト航行したほか、10月には復元した縄文時代前期の丸木舟で、舞鶴市と沖合10キロの島の往復を試した。海部さんは「どういう舟で渡った可能性が一番あり得るのか、材料や道具も検証しながら実験を繰り返したい」と話している。(神田明美)

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