高句麗式の巨大古墳 被葬者は蘇我蝦夷かも

謎の遺跡、未知の巨大古墳だった 被葬者は蘇我蝦夷かも:朝日新聞デジタルより
謎の遺跡、未知の巨大古墳だった 被葬者は蘇我蝦夷かも
田中祐也2017年3月1日22時34分
 飛鳥時代の巨大な石張りの掘割(ほりわり、濠〈ほり〉)が出土した奈良県明日香村の小山田(こやまだ)遺跡で、石の抜き取り穴や排水溝など古墳の横穴式石室の痕跡とみられる遺構がみつかった。県立橿原(かしはら)考古学研究所(橿考研)が1日発表した。遺跡が7世紀中ごろに築造された未知の古墳だったことが確定し、「小山田古墳」と命名された。

 一辺約70メートルの飛鳥時代で最大級の方形の古墳の可能性が高まった。これほど巨大な未知の古墳の発見は異例。被葬者像をめぐり、7世紀前半に即位した舒明(じょめい)天皇(593~641)か、乙巳(いっし)の変(大化改新の発端、645年)で滅ぼされた豪族の蘇我蝦夷(そがのえみし、?~645)との見方が出ている。

 2014年に県立明日香養護学校の校舎建て替えに伴う発掘調査で、多数の石材が張りつけられた掘割が出土。古墳の濠や居館、庭園などの見立てがあった。

 今回、掘割の約65メートル南を発掘調査。横穴式石室の通路(羨道〈せんどう〉)の左右の側壁を構成するとみられる石が抜き取られた痕跡(南北長1メートル以上、東西幅約1・5メートル)が出土した。通路幅とされる抜き取り穴間の距離は約2・6メートルに及び、厩戸王(うまやとおう、聖徳太子)と共同で政治を執った蝦夷の父、馬子(うまこ)の墓とされる石舞台古墳(奈良県明日香村、7世紀前半)の通路より広い。

 墳丘の一部とされる盛り土も確認。墳丘の南側は広がる可能性が強まり、石舞台(一辺約50メートル)を上回る規模を誇ったとみられる。

 橿考研の菅谷(すがや)文則所長は「墳丘規模や築造時期などからも、舒明天皇が最初に葬られた場所である可能性が高まった」と話す。

 現地はすでに埋め戻され、見学はできない。(田中祐也)

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