大宰府守るため?7世紀の土塁発見 長さ500m 福岡

大宰府守るため?7世紀の土塁発見 長さ500m 福岡:朝日新聞デジタルより
大宰府守るため?7世紀の土塁発見 長さ500m 福岡
渡辺松雄、編集委員・中村俊介2016年11月28日18時43分
 福岡県筑紫野市の丘陵上で、長さ約500メートルに及ぶ大規模な7世紀の土塁が見つかった。市教委が28日、発表した。古代九州を統括し国家外交の最前線だった大宰府を守る防塁とみられ、丘陵での土塁の確認は初めて。市教委は「大宰府都城の外郭線」とみており、未確認の広大な防衛ラインが敷かれていた可能性が出てきた。

 現場は政治の中枢だった大宰府政庁跡地から南東に約7キロの前畑遺跡。土塁は土を盛って壁のようにめぐらせた防御施設で、市教委によると高さ約1・5メートル、下部の最大幅は約13・5メートル、2段構造で東側が急斜面になっている。標高49~61メートルの丘の尾根を、ほぼ南北方向に約500メートル(残存部分390メートル)にわたって走っている。周辺は区画整理事業のためどこまで続くかは不明。土を何層もつき固める版築技法で造られていた。

 古代大宰府は国家の対外政策の要で、朝鮮半島の百済救援に向かった日本が唐・新羅連合軍に敗れた白村江の戦い(663年)の直後、敵の侵攻に備えて水城や大野城、基肄(きい)城(いずれも国特別史跡)が平地や山上に急造された。市教委は「水城や大野城などの築造工法と共通し、出土した土器の年代などから、大宰府防衛の構造物である可能性が高い」という。

 一部の研究者には、百済の都など東アジアに見られる、城をぐるりと壁で取り囲んだ「羅城」構造を大宰府に想定し、土塁をその一端を埋める防衛線とみる見方がある。奈良の藤原京や平城京など古代日本の都に中国のような本格的な城壁はないとされるだけに、大宰府での土塁発見は日本都城史にも貴重な材料を与えそうだ。古代山城に詳しい小田富士雄・福岡大名誉教授は「古代山城や水城だけでない都城線の一部が初めて発見されたことになり、きわめて重要だ」と話す。

 市教委は12月3日と4日に現地説明会を開く。(渡辺松雄、編集委員・中村俊介)

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 佐藤信・東京大教授(日本古代史)の話 これだけの仕事なので国家事業とみられ、古代大宰府の施設と考えていい。基肄城など南の守りと関連するなら、有明海からの敵襲を意識していたことも考えておく必要があるのではないか。

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 〈大宰府〉 7世紀に筑前国(現在の福岡県の一部)に設置された行政機関。九州全域の統括機関であるとともに、外交や防衛など国家機能も担った。「遠(とお)の朝廷(みかど)」と呼ばれ、奈良の都に似た都市整備がなされたともいわれる。大宰府政庁や古代山城、水城などは特別史跡に指定されている。

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