淡路島と出雲、つなぐ銅鐸 同じ鋳型で作った痕跡確認

淡路島と出雲、つなぐ銅鐸 同じ鋳型で作った痕跡確認:朝日新聞デジタルより
淡路島と出雲、つなぐ銅鐸 同じ鋳型で作った痕跡確認
赤井陽介、編集委員・今井邦彦2016年10月31日03時59分
 兵庫県南あわじ市で昨年4月に見つかった松帆銅鐸(まつほどうたく、弥生時代前期末~中期初め)7個のうち2個が、島根県の2遺跡で出土した銅鐸とそれぞれ同じ石製鋳型で作られた「同笵(どうはん)銅鐸」だと確認された。市教育委員会などが26日発表した。銅鐸の製作や流通経路、淡路島と出雲地方の関係を探る上で貴重な発見という。

 松帆銅鐸7個は市内の砂置き場で見つかった。うち1個は、加茂岩倉(かもいわくら)遺跡(雲南市)から出土した39個の銅鐸のうちの一つと同笵で、高さ約31・5センチ。漢字の「王」の字のような文様があり、加茂岩倉の銅鐸にも、似た文様の一部が見えるという。大きさや鋳型のひび、欠けなどによる痕跡も一致した。

 もう1個は、荒神谷(こうじんだに)遺跡(出雲市)で出土した銅鐸6個のうちの1個と文様の細部の特徴が同じで、高さ約23・5センチ。鋳型の傷の痕跡も一致したことから同笵と判明した。鋳型の傷による痕跡の多さなどから荒神谷の銅鐸の方が後に作られたとみられる。

 ログイン前の続きさらに松帆銅鐸の別の2個は、南あわじ市で江戸時代に出土し、地元の寺に伝わる「慶野中(けいのなか)の御堂(みどう)銅鐸」(高さ約22・5センチ)と同笵であることも発表された。

 同笵の判定をした奈良文化財研究所(奈文研)の難波洋三・客員研究員は「淡路島と出雲の人々が同じ工人集団から銅鐸を入手していたことは、当時の銅鐸がかなりの遠距離を流通していたことを示す。今後、原料をどこから入手したかも検討し、銅鐸の生産や流通を解明したい」と話す。

 兵庫県教委は「松帆銅鐸と荒神谷遺跡の銅鐸は古い形式のもので構成され、近くで銅剣がまとまって出土した点が似ており、淡路と出雲の共通性を示唆している」とみる。市教委と奈文研は銅鐸の内部に付着していた植物の種類の判定や、放射性炭素による年代測定などを進めるという。

 加茂岩倉との同笵銅鐸は四国や近畿など10カ所以上で、荒神谷との同笵銅鐸は京都府でも見つかっている。(赤井陽介、編集委員・今井邦彦)

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 〈同笵銅鐸〉 「笵(はん)」は鋳型のことで、同じ鋳型から作られた銅鐸を「同笵銅鐸」と呼ぶ。鋳型の細かい傷が銅鐸の表面に痕跡として現れるため、大きさが一致する銅鐸を詳しく観察して同笵かどうか判断する。鋳型には使うほど傷が増えていくことから、銅鐸表面の痕跡の数で鋳造の順番を推定することもできる。

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