飛鳥寺西方遺跡に初の建物跡 宴の施設?軍営?

飛鳥寺西方遺跡に初の建物跡 宴の施設?軍営?:朝日新聞デジタルより 
飛鳥寺西方遺跡に初の建物跡 宴の施設?軍営?
塚本和人
2015年2月7日07時38分
柱跡が出土した飛鳥寺西方遺跡の発掘現場=5日午前、奈良県明日香村、加藤諒撮影
 大化改新の立役者、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)(後の天智天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が蹴鞠(けまり)を通じて出会った「槻(つき)の木の広場」とされる奈良県明日香村の飛鳥寺西方(せいほう)遺跡で、2棟の建物跡が見つかった。村教委が5日発表した。同遺跡で建物跡の出土は初めてで、辺境の人々らをもてなした饗宴(きょうえん)施設や壬申(じんしん)の乱(672年)で使われた軍営などの可能性が浮上している。

 昨年度の調査で東西方向に並ぶ13個の穴が見つかり、今回、その北側などで計19個の穴(直径約0・3~1・2メートル、深さ約0・3メートル)を確認。東西約17メートル、南北約5メートルの長方形の建物2棟が東西方向に並んでいたことがわかった。穴を埋めた土には焼けた土も混じっていたが、建物自体が燃えた痕跡はなかった。穴の規模や形状などにばらつきがあるため、仮設の建物だったとみられる。

 日本書紀によると、広場では、大化改新のきっかけとなったクーデター「乙巳(いっし)の変」(645年)直後に孝徳(こうとく)天皇が群臣らを集めて忠誠を誓わせたほか、蝦夷(えみし)や隼人(はやと)らをもてなす宴会が開かれたり、壬申の乱で近江朝廷側が軍営を置いたりしたとされる。猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(考古学)は「多目的空間だった広場の具体的な姿が見え始めてきた」と話す。

 現地説明会は8日午前10時~午後3時。問い合わせは村教委文化財課(0744・54・5600)へ。(塚本和人)

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