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韓国南部の古代遺跡(2)より 
『伝説によると、慶尚南道の金海の亀旨峰に降臨した首露王始め6人の男の子達が加耶6国(駕洛国(金官国)、大加耶、星山加耶、阿羅加耶、小加耶、古寧加耶)を作ったという。その後加耶諸国は百済と新羅の進出に翻弄される。日本書紀によると541年と544年に「任那(加耶)復興会議」が百済、日本、加耶諸国が参加して行なわれた。結局、加耶諸国は西暦562年に新羅に滅ぼされるが、その間、日本に鉄文化を伝え、日本との往来も多く、また戦乱を逃れて日本に渡ったものも多かったと伝えられている。

加耶は「鉄の王国」といわれ、日本がここに鉄の買い付けに来たことは注目される。当時鉄は戦略物資で、現代の石油とみてよいだろう。また、日本では2例しか見られない馬冑(ばちゅう、戦闘用の馬の頭部を守る冑)がここでは多く見られる。これは北方騎馬民族の南下を示すものとして興味深い。』

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