宮内庁、大阪・岬の宇度墓古墳=淡輪ニサンザイ古墳を公開

淡輪ニサンザイ古墳 – Google マップ
宇度墓古墳と西陵古墳|天璽瑞宝

「シンポジウム 紀ノ川北岸の古墳文化 ― 初期須恵器・埴輪・陶棺からみた地域の歴史 ―」資料集(PDF)より

表1 紀ノ川流域・泉南地域の円筒形埴輪編年表
表1 紀ノ川流域・泉南地域の円筒形埴輪編年表

立地条件は五色塚古墳・処女塚古墳・打出古墳と似た交通の要所だ。

宮内庁、大阪・岬の陵墓を公開 「淡輪ニサンザイ古墳」:朝日新聞デジタルより 
宮内庁、大阪・岬の陵墓を公開 「淡輪ニサンザイ古墳」
編集委員・今井邦彦
2014年12月5日13時09分
報道陣に公開された淡輪ニサンザイ古墳から出土した埴輪=5日午前11時19分、大阪府岬町、林敏行撮影
 宮内庁は5日、垂仁(すいにん)天皇の皇子、五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)の墓「宇土墓(うどのはか)」に指定している大阪府岬町の陵墓「淡輪(たんのわ)ニサンザイ古墳」(前方後円墳、全長172メートル)の発掘調査現場を報道関係者に公開した。午後は考古・歴史学の学会代表らに公開する。同古墳の本体が発掘調査されるのは初めて。

 宮内庁は墳丘の整備工事を前に、古墳の裾部分を20カ所発掘。墳丘は農業用水に使われた堀の水の量を増やすために後世に削られており、築造時の全長は200メートル前後だったことが分かった。現在、前方部と後円部の間から突出する「造り出し」は南側だけに残っているが、当初は北側にもあったことも確認された。

 南側の造り出しには墳丘表面を覆った「葺(ふ)き石」がよく残っており、古墳本体との間から円筒形と朝顔形の埴輪(はにわ)が列になって出土。上面や周囲から家や盾、貴人にさしかける蓋(きぬがさ)などの形をした埴輪片が多数見つかった。埴輪の形から古墳が5世紀中ごろ~後半に築造されたことが確実になった。

 日本書紀によると、五十瓊敷入彦命は景行(けいこう)天皇の同母兄で、鉄刀など武器の生産を指揮したとされる。しかし研究者の間では、古墳は過去に出土した埴輪などから、465年に雄略天皇の命で朝鮮半島の新羅と戦い、現地で病死して「田身輪邑(たむわのむら)」に葬られた、と日本書紀に記された豪族・紀小弓(きのおゆみ)の墓とする説がある。(編集委員・今井邦彦)

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