昭和天皇実録:靖国神社不参拝の経緯…「富田メモ」を追認

昭和天皇実録:靖国神社不参拝の経緯…「富田メモ」を追認 – 毎日新聞より 
昭和天皇実録:靖国神社不参拝の経緯…「富田メモ」を追認
毎日新聞 2014年09月09日 05時03分(最終更新 09月09日 08時09分)

 宮内庁は9日、昭和天皇の87年の生涯を記録した「昭和天皇実録」を公開した。この中で、天皇が靖国神社に参拝しないのは、A級戦犯の合祀(ごうし)が理由だと天皇自身が話したとする富田朝彦(ともひこ)宮内庁長官(当時、故人)のメモ(富田メモ)と符合する記述があったことが分かった。メモの中身には触れていないが、その存在と内容を報じた日本経済新聞の報道があったことをあえて記述した上、メモを出典として明示していることなどから実質的にメモの中身を追認したと受け止められる。

 実録は、昭和天皇の日々の動静の公式記録で、同庁が1990年から24年余りかけて編さんした。作業には、非公開の内部文書や戦前に侍従長を務めた百武(ひゃくたけ)三郎の日記など約40件の新史料を含む3152件の史料が使われたが、歴史の通説を覆す記述はないとみられる。

 体裁は和とじ本で計61冊、約1万2000ページ。黒塗りはなく全文公表され、8月21日に天皇、皇后両陛下に奉呈(提出)されていた。

 焦点となったのは88(昭和63)年4月28日の記述。同日午前、皇居・吹上御所で富田長官と面会したことが記され、「靖国神社におけるいわゆるA級戦犯の合祀、御参拝について述べられる」とある。内容の詳細は書かれていないが、続けて「なお、平成18年には、富田長官のメモとされる資料について『日本経済新聞』が報道する」と記載されていた。

 この報道は、2006年7月20日付同紙朝刊が「富田長官が残したメモから、昭和天皇がA級戦犯を合祀した靖国神社に強い不快感を示し、『だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ』と長官に語っていたことが判明」と報じたもの。実際、天皇は1978年のA級戦犯合祀以降は参拝をしていない。

 新聞報道を記載したことに対して、同庁は実録の説明の中で「社会的な反響、影響が大きかったことから報道があったという事実を掲載した」と述べ、「メモの解釈はさまざまで、A級戦犯合祀と昭和天皇の靖国神社不参拝をとらえた富田メモや報道内容を是認したわけではない」としている。

 しかし一方で、質疑の中では「(天皇と富田長官との面会と報道は)全く無関係というわけではない」ともしている。

 また、実録は天皇の動静を記述する依拠史料として、富田メモを約180回にわたり引用。87年は65回、88年も51回と多用しており、史料としての価値を認めている。

 古川隆久・日本大教授(日本近現代史)は「昭和天皇が靖国参拝問題について側近に話したことが記載され、出典も明示されたということは、話した内容まで掲載されていなくても事実上認めていることと同じだ」としている。

 また、天皇が終戦直後、米軍による沖縄の軍事占領継続を希望したとされる「沖縄メッセージ」については、実録は47年9月19日、連合国軍総司令部幹部の報告内容として紹介している。【真鍋光之、古関俊樹】

 ◇富田メモ

 宮内庁長官を務めた富田朝彦(1920〜2003年)が、昭和天皇の発言を書き留めたとされるメモ。靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に天皇が不快感を示し、参拝を取りやめたと読み取れる記述があり、06年に報道で明らかになった後、分祀して「天皇参拝」が可能な状況にすべきだとの分祀論が活発化。ただ、記載の読み取り方などに異論もあり、宮内庁はこれまで、記載内容の評価などは示していなかった。

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