「障害受容」という概念から卒業しよう!

障害受容とリハビリテーション田島明子20040902より

『新舍は、医学部学生時代にラグビーの試合中の事故で頸髄損傷C7完全四肢麻痺となった。しかし受傷後3ヶ月という早さで学業に復帰、留年することなく卒業、医師免許を取得。その後、防衛医大リハビリテーション部に入局、現在に至る。車いすの生活。
 新舎は、論文冒頭、「障害受容」について次のように述べる。「実は私自身が『障害受容』という用語について受容していない。抵抗感がある。正確に言えばどうもピンとこないのである。そもそも障害受容とは何なのか。障害後に生じる多様な心理状態の変化の結果、一見、障害を受け容れたかに見える状態を便宜的に形容するために研究者が恣意的に作った用語にすぎないように思える。一体障害は受容できるものなのか?受容しなくてはならないものなのか?」
 新舎は、受傷直後、「心配するな!お前を医者にしてやるから」と明言してくれた現在の上司を信じ、つらいリハビリテーションや勉学に励んだ。「自分の足で歩きたい、走り回りたいという欲求はまったくないというと嘘になる」が、「現在の状況を受け入れるのに葛藤したような覚えもない」と言う。障害者という認識もあまりないとも言う。その理由は、「私のことを障害者という枠組みではなく、同じ一人の仲間として、同僚として、友人として、家族として受け容れ、対等に扱ってくれているからに他ならないから」だそうだ。
 また「価値転換論」についても疑問を持っている。「たかが障害を負った程度でそう簡単に人間の価値観など変わるものだろうか。言葉の問題に過ぎないが、私個人としては価値観の拡大と言ったほうが適当ではないかと考えている。『歩けない』よりも『歩ける』ほうがいいに決まっているし、『歩けない』という事実に満足しているものなど一人もいないであろう。取りあえず、『仕方ない。車椅子でもいいや』という程度の話であろう」と語る。
 さらに、「障害受容」への疑念はリハビリテーション批判にも向かう。「リハビリテーションが思うように進まない理由、リハビリテーションの効果が十分に現れない理由を障害受容の問題にすり替えていないだろうか。われわれリハビリテーション医療に携わる者は『あの患者は障害受容していないから』という前に、自分達の治療を振り返りアプローチに不十分な点はなかったかを省みるべきではないだろうか」8)。』

これに尽きる。
こんなサイトがあった。賛同する。
障害とともに生きる心を学ぶ会 ~いわゆる「障害受容」について再考する・・・~

同様の概念として使うなら「障害認知」と言った方が良いと思う。


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